2010/07/24

バチが当たるということ

ぼくがいつもMTBで走っている山の麓には神社がある。神社への参拝者のための駐車場にいつも車を止めさせてもらっている。

この日ぼくは、神社の境内に手を合せることをしなかった。いつもやっていることなのに。なぜか?たぶん面倒くさかったのである。下山してきてその境内の脇を通りながら、「スミマセンでした」と自然と口から言葉が出た。

バチが当たったと思う。



バチが当たるというのは、自分自身の心への戒めだと思っている。いつも通りのことをするということは、いつも通りのことができるということ。何かを疎かにしてしまうと全てのバランスが乱れる。

EX系のスポーツは、そこがかなり重要であると思っている。

集中できる精神状態は冷静でなくてはなれない。冷静であるということは、アクションを起こすための全てに対して面倒くさいという感情そのものがないのではないだろうか。

バックカントリースキーへ行ったとき、滑る斜面を目の前に雪や空気との会話ができているだろうか。会話ができれば、危険を回避できることがあるかもしれない。(それでも回避できない場合もある)

しかし、それを怠ることによって残るものは斜面を滑走する欲求だけだ。自身のエゴだけの時にバチが当たるケースが多いのではないだろうか。そんな気がする。

怪我をした当日に神社にお参りをしなかったことは、その時の自分の精神状態の現れだと思う。ただ走りたいと思う気持ちだけが先行していたがために、大切なことの真髄をどこかに忘れてしまったのだと思う。

起こるべくして起きた事故なのだと思う。

おれのバカ、バカ〜

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